2006年09月02日

今週の『純情きらり』〜第22週

 長い1週間が終わりました。いや、本当に長かった。『純情きらり』を見始めてずいぶんたちますが、こんなに1話ずつが重苦しく感じられたのは初めてです。

 好きだ、嫌いだに理屈を求めても仕方のないこととは思うのですが、桜子と冬吾の気持ちが、まったく、これっぽっちも、小指の先ほども分からない。
 音楽学校受験のため東京に行ったころ、猪突猛進の桜子が気になってしかたない達彦→ずばりとツボをついてくる大人の冬吾に惹かれる桜子→とりあえず大人の態度の冬吾という、片思い連鎖関係ができるものだとばっかり思っていました。あんなに映画行ったり、毎日騒いだり、痛いところ突かれたり、恋愛要素満載の東京でなにもなかったのに、なぜ今になって……。
 一方の冬吾も、「桜ちゃんのおかげで、絵が描けた」とか言っていたけれど、なんだかね。芸術家同士の結びつきと言われれば、ぐうの音も出ませんが。彼なりに一応の結着はつけたけれど(でも、この人、困るといつもその場からいなくなるのねぇ…)、もっと冬吾らしい大らかさでもってうまく納めてくれるかと、微かに期待してたんですがねぇ……………。
 せっかく、岡崎に戻って以前のように活き活きしていた笛子が、切ない表情を見せるのは、見ていてつらいので、これでよかったと思うことにします。

 ああ、よかったと思ったとたん、また衝撃が!!!!!
 予告です、予告。
 なにぃーーーーーーーーーーーーーー!!!!!今週、こんな気分にさせられたというのに、来週のあの映像はどうよ。桜子、桜子、あんたって人は……と、ただいま脱力中です。来週が、楽しみなような、そうでないような。
 というわけで、今から、重箱の隅をつつきます。意地悪くつつきます。でなきゃ、やってられないぜ、ちっ(舌打ちのつもり)

 余談もとい、重箱のすみっこ
・空襲警報が鳴って、てきぱき子どもたちを誘導する桜子。けど、授業中なのに、廊下から教室のぞいてます。さぼり?

・結婚報告にもどった杏子。笛子に仕事と家族のどっちを選ぶのか問いただされて「この二人が死んだら、生きていたくなくなる」と答えます。ということは、笛子や桜子がいなくても生きていけるってこと?東京での「家族を捨てた」宣言はそういうことになるの?でも、3人、すっかり家族らしくてほほえましかったので、いいか。

・東京大空襲は確か3月。岡崎の空襲は7月。4ヶ月もたってるけど、冬吾の足治ってませんね。確か、骨折だったような気がするけど、長すぎるでしょ。しかも、いまだにギプスか副え木すらしているようにも見えるけど…。リハビリせんかい!

・冬吾が歩いていけないほど遠い防空壕。あんなに遠くて意味あるのかな。冬吾も、事前に避難できる距離かどうか確認して、無理だったらほかの方法考えておかんと。桜子も、笛子も仕事行ってるときだったら、子どもつれて逃げられないじゃないか。庭か床下に穴掘るとか。

・代用教員の話、断って大丈夫?校長先生、尽力してくれたのに、お気の毒。

・ヤスジさん、こんな終戦間際に召集なんて。絶対に、再登場してね(祈)

posted by あんく at 10:09| Comment(4) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昭和20年は終戦。大日本帝国は負けるわけですね。
東京大空襲は3/10(陸軍記念日)と5/25(28日は海軍記念日)二回ありました。ドラマではどっちかな。
1/13三河大地震。我が家が倒壊したんだけどね。ドラマは無視している!「ちょっと待ってください」八丁味噌カクキュの味噌蔵も
倒れているぞー

5/14名古屋大空襲。名古屋城燃えた!我がばあさんは名古屋を見て「ああ日本は負けるんだね」と涙が流れたそうです。

岡崎空襲では街の中心焼け野原。八丁味噌「カクキュー」あたりも爆撃されたのではないでしょうか。親戚岡崎にいるがこの岡崎空襲被害は聞かない。

桜子のおばちゃん。豊根村(奥三河)行かないかな。豊根が有名になれるからさ。豊根のとなりに新城市。我がふるさとでした。
Posted by sadakun_d at 2006年09月03日 07:20
sadakun_dさん、いつもコメントありがとうございます。

岡崎に桜子と笛子一家が戻ったあと、また大きな空襲があって磯おばさんが出かけていったりしたので、冬吾が負傷したのは3月のものかなと思ったんですが、どうなんでしょうね?
Posted by あんく at 2006年09月03日 14:42
桜子が豊根村になぜか行かない(不満だぞー)
で岡崎の代用教員。岡崎のどこ?歩いて行けるエリアは空襲です。校舎なんかありゃしない。ならば隣町安城か豊田か西尾。説明してくれー竹下景子ナレーション。

ドラマは昭和21年(終戦)になりました。戦後の復興は三河地区は農業とTOYOTAです。働き場所はかなりあります。そうそう進駐軍はうようよしていたそうです。ギブミーチョコ!やってもらいたい。太郎あたりに。

さていよいよ期待の復員兵現れますね(*^-^*)

奥さん奥さん、青いハンカチ用意してテレビ見ないと。てみじかな雑巾はいけませんで。
Posted by sadakun_d at 2006年09月04日 09:06
杉浦正健法相は昭和9年岡崎生まれ。

ひょっとして国民学校の子供世代かな?
Posted by sadakun_d 2 at 2006年09月06日 02:13
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